江戸を早朝に出発し、険しい権太坂や境木の峠をくたくたになりながら越えてきた旅人たち。
そんな彼らが「もうすぐ今夜の宿、戸塚宿だ…!」と、ようやくホッと胸をなでおろしたのが、今回歩くルートにあたります。
お城・歴史・観光ライターの視点から、見落としがちな戸塚宿の手前の見どころをたくさんの写真とともにルートを解説しながら紹介していきます!
JR東戸塚駅東口から東海道歩きをスタート

JR東戸塚駅東口から連絡通路を進むと、そのまま地上に降りず、福寿歩道橋を渡って、前回の続きの地点に戻れます。Googleマップで「福寿観音」を探して、目指してください。

ここを右に曲がって、東海道歩きスタートです!


住宅街を歩いて行くので「あってるのかな」と心配になるかもしれないですが、さりげなく案内がありますので、安心できました。

分かれ道にこの看板がありますので、右に曲がって坂を下ります。


「品濃坂」は逆に江戸に向かう人たちにとっては、急な坂で大変だったようです。
みえないですが「↑旧東海道」の案内の先は歩道橋があります。


歩道橋渡ったら左側におりて、写真のように最初にある道に入っていきましょう。


こんな感じの坂をくねくね下っていきます。

坂を下り終わったらこんな感じの道が続きます。
何も見どころが無いので少し退屈ですが、ひたすら道なりに歩いて行きます。


途中から川が並走します。
そのまま歩き続けると「東戸塚駅入口」の交差点に着きます。

川が続く方向(写真の中央奥)へ横断歩道を渡って進みます。

左側に柏尾川が登場。

赤関橋の信号にたどり着いたら、この写真の道ではなく、左側の道に入ってください。


左の道に入る方向にこの橋があります。ちょっと東海道っぽいデザインになってますね。

油断して歩いていると、左手に「提灯立場跡」の案内があります。
前回のルートガイド記事の「境木立場跡」でも紹介しましたが、「立場」とは、宿場と宿場の間に馬子や人足の休憩などのために設けられた公式な休憩所です。
立場が繁盛すると、間の宿(あいのしゅく)とも呼ばれました。
「なぜ提灯?」と思って調べてみたのですが、ここで茶屋などが提灯を掲げて旅人をもてなした(あるいは客引きをした)ことから「提灯」という呼び名が定着したそうです。


さらに進んでいくと、先ほどの車が走っている道に合流します。

歩いて行くと右手に山崎製パンの工場があります。
大学生の時、海外留学から帰ってきて復帰までの間暇だったから短期のバイトにこちらに通ってました。
懐かしい。良い社会勉強になった思い出。

「ALSOKやPOLAがあるなー」と思っていたら、鎌倉ハムの土蔵をみるのを完全に忘れました。
(工事やってて周辺が見れなくなってたような気もしています。)
Googleマップにピン立てておいたので、皆さんが行かれた時はあるかどうか見てみてください。


道右手から少し入った分かりにくい場所にある「柏尾の大山道道標」はちゃんと見に行きました。
旧東海道から大山に参詣に行く道の入り口がここ柏尾で、大山詣の参拝者の安全と無事を祈願する為に追分不動尊が建立されました。

元の道に戻って反対側に行きます。
大きい交差点「不動坂」の横断歩道を渡るか歩道橋で反対側に行きましょう。
不動坂の交番のちょうど反対側にある細い道が旧東海道です。(写真が無くてすいません)


歩いて行くと「鎌倉ハム発祥の地」があります。
明治7(1874)年、英国人ウィリアム・カーティスがこの地(旧戸塚宿・下倉田)にホテルを開業し、裏手の農場で豚を飼育して、日本初の本格的なウインナー・ハムの製造を開始しました。
当時、鎌倉観光へ向かう外国人たちに提供されたこのハムは、またたく間に口コミで広がり、地名をとって「鎌倉ハム」と呼ばれるようになります。
柏尾川の豊かな水と、鎌倉道・東海道に隣接する交通の利便性を活かして作られたハムは、当時の外国人居留地や東京のホテルで「鎌倉の地で作られた美味しいハム」として大評判となり、日本の職人たちへとその技術が受け継がれていきました。わが国の食肉加工産業の礎を築いた、近代食文化史における重要な記念の地です。

歩いて行くと舞岡川にあたるので、地図の通り右に曲がって川に沿って歩きます。

「五太夫橋」があるので渡ります。
以下の説明書きがありました。
石巻(康慶)五太夫は小田原北条氏の家臣で豊臣秀吉の小田原攻めのとき北条方の使者でした。
北条氏の滅亡後、鎌倉郡中田村で謹慎していた五太夫が、天正一八(一五九〇)年江戸に入る徳川家康を出迎えたことから、五太夫橋の名がついたといいます。泉区の中田町には五太夫の墓があります。


少し歩くと左手に「 宝蔵院」があります。
真言宗のお寺で、本尊に不寛永九年(1632)御作の不動尊を祀る古刹です。

反対側に渡るとイオンの前に「江戸方見付跡」があります。ここからが戸塚宿の入り口です!

ゴールの戸塚駅までもう少し!頑張って歩きましょう。

「元町」の信号の所にある、こちらの「八幡大神への道標」ですが、「八幡神社参」で切れており、舗装工事で下部分が埋まってしまっています。

少し歩くと「吉田一里塚跡」があります。
Googleマップだと右側にピンが立ってますが、両側に案内板があったと思います。
「吉田一里塚」は江戸から十番目の一里塚なので、日本橋から約40km来たということになります。
江戸時代の旅人は、1泊目は戸塚宿に宿泊することが多かったそうなので、一日に日本橋からここあたりまで歩いてきていたということです。
この日、実は私は東神奈川駅から戸塚駅まで歩いた(寄り道も結構しました)のですが、結構へとへとでした。

橋が見えたら早速渡りたくなってしまいますが、手前の横断歩道を渡る前の左側にある「広重の浮世絵 戸塚宿」を忘れずにチェックしましょう。
この絵の右側の橋が、これから渡る「吉田大橋」です。

ちなみに戸塚区と保土ケ谷区などの国道1号(旧東海道)沿いには「箱根駅伝マンホール」が所々設置されてます。この広重の浮世絵の戸塚宿と同じ構図になっています。




「吉田大橋」を渡っていきます。
橋には、当時の戸塚宿の様子を伝える飾板が設置されており、往時の雰囲気を今に伝えています。

左の方にかろうじて写っている街灯ですが、大名行列が持つ毛槍を模しているそうです。

橋を渡って少し歩いたら、「矢部団地入口」の信号で、写真のうねっている道に入りましょう。


歩いて行くと、右手に「善了寺」があります。

さらに歩くと左手に「矢部町問屋場跡」があります。
戸塚には三か所の問屋場があったそうで、交代で役目を勤めていて、矢部町問屋場は毎月一日から四日までを担当していたとのこと。
4日間だけなんですかね?規模によって担当日数違うとか?めっちゃ気になる。

「戸塚駅東口入口」の信号で、今回の東海道歩きは終了です。
次回、右側の道の続きを歩いて行きます。
左の道に歩くと、戸塚駅に到着します。
左の道の所の「modi(戸塚モディ)」の中に戸塚宿の御宿場印が売っている所があるので、集めてる方は買いに行きましょう!

戸塚宿の御宿場印は2か所で販売していますが、こちらの「純喫茶モネ」さんは駅近、土日祝もやっている(定休日は水曜)、そして営業時間が長いのでお勧めです。戸塚モディの2階にあります。
お疲れ様でした!

