こんにちは!東海道を歩く旅、今回からは江戸から4番目の宿場町「保土ヶ谷宿」を本格的に散策して行きます。
前回の記事では、江戸時代の道の大改修の歴史を予習しましたが、今回は相鉄線の天王町駅からスタートして、その歴史の痕跡をリアルに辿っていきます。
道中では美味しいお蕎麦や地元の方々との心温まる交流がありました。
それでは、保土ヶ谷宿へLet’s goです!
相鉄 天王町駅南側から東海道歩きをスタート

駅を出るとすぐ小さな公園「天王町駅前公園」があります。


公園内は、かつての帷子橋(かたびらばし)を模したような演出が施されています。
前回のルートガイド記事では、駅の反対側(北側)で「現在の帷子橋」を渡ってきましたが、昭和39年(1964年)に帷子川の流れが相鉄線・天王町駅の南側から北側へと付け替えられたのに伴い、橋の位置も大きく変わりました。そのため、まさにこの公園のある場所こそが、かつての帷子橋(新町橋)の跡地とされています。
ちなみに、この橋は初代・歌川広重の『東海道五十三次』にも描かれていることで有名ですが、それは慶安元年(1648年)頃の大改修で道筋が変わった際、新たに架けられたようです。


「旧東海道 保土ヶ谷宿」の石碑と保土ヶ谷宿周辺の散策の案内図がありました。


こんな感じの道を歩いていきます。

結構歩いていくと右手に「香象院」があります。
開山の年代は不詳ですが、保土ヶ谷宿で最大の寺子屋があったそうです。
両側にある大きな鉄釜がかなりインパクトありますが、この鉄釜は本堂に前に置かれた「天水桶」でした。
本堂の再建に当たってここに移動し、危険防止の為に大きな蓋がつけられたそうです。

「香象院」から少し歩き、「岩間町交番」の信号の所の右手に「旧中橋跡」の案内板があります。
かつて今井川がここで宿場を横切っていて、「中橋」がかかっていました。
慶安元年(1648年)頃の大改修の際に人工的に作られた川筋でしたが、大雨でここで水が滞ったため、嘉永五年(1852)に現在の川筋に改修され、橋は無くなりました。
ちなみにこの今井川の改修の際に出た大量の土は、品川台場の埋め立て用に幕府に献上されたそうです。

少し歩くと道が二股に分かれます。
なんとなく曲がって左に行く道の方が道幅が広くて東海道なのでは?と思ってしまいますが、木にちょうど隠れて見えなくなっているまっすぐの細い道が東海道なので、お間違えの無いよう!

普通の町に見えますが、かつての商人通りに突入です。

右手に「助郷会所跡」があります。自販機の隣にひっそりとあるので、見逃し注意です。
宿場町には、大名行列や公用の旅人のために人手(人足)や馬を常に用意しておく義務がありました。しかし、参勤交代などで交通量が爆発的に増えると、保土ヶ谷宿だけの力ではとてもまかないきれなくなります。
そこで、周辺の農村から人手や馬を応援(動員)として借り出す制度を「助郷」、その指定を受けた村々のことを「助郷村」と呼びました。
その助郷村が人馬を手配する為に設けられたのが「助郷会所」です。

次は左手に「問屋場跡」があります。
助郷の説明文もここに書かれていますね。
本当はこのまままっすぐ進むのですが、御宿場印を買いに寄り道します。

「問屋場跡」の所を左に曲がり、川を渡って、右に曲がると「宿場そば 桑名屋」があります。
雰囲気のあるこちらの建物は、深川江戸資料館の船宿の建物を手掛けた大工職人に依頼して江戸時代の建物を再現したそうです。
こちらで「保土ヶ谷宿」の御宿場印が購入できます。蕎麦屋さんですが、御宿場印だけ買うのもOKです。


入り口に下駄箱がありますが、靴入れないでそのまま上がって大丈夫です。
自分は靴入れようとして恥かきました(笑)昔は下駄箱使ってたみたいです。

蕎麦を頂きましたが、美味しかったです!
昼のピークをだいぶ過ぎた時間帯だったので、席も空いていて、すぐ食べれました。


実は、お店の2階がちょっとした資料館のようになっています。
お蕎麦を美味しくいただいたあとに見学させていただいたのですが、ちょうど他にお客さんがいないタイミングだったこともあり、なんとご主人がわざわざ上がってきて、色々なお話をしてくださいました。
お城巡りをしているときもよく言われるのですが、私のような少し若めの女子が東海道を歩いているのは、やっぱり珍しいみたいです。
ご主人から「若い世代もこうやって実際に東海道を歩いてくれるから、遺跡が大切に残されたり、新しい案内板ができたりするんだよー」と言っていただけて、なんだか胸がじーんと熱くなりました。
私のブログは微力かもしれませんが、これからも「東海道歩きの楽しさ」をたくさんの人に布教すべく、コツコツ発信を頑張っていこう!と改めてパワーをもらった素敵な出会いでした。

「問屋場跡」に戻ってまた道を歩いていくと、右手に「高札場跡」があります。
「宝暦十三年(1763)に普請された保土ヶ谷宿の高札場」と説明文にかかれてましたが、高札場ができたのだいぶ後なのですね。

さらに歩いていくと左手に「程ヶ谷お休み処(程ヶ谷番所)」があり、その前に「金沢横町道標(4基)」があります。
このあたりは金沢・浦賀往還の出入口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれていました。
金沢・浦賀往還には、観光の地が枝道にあるため、道標が4基建立され、現在残っています。
これが「金沢横町道標(4基)」です。
4基の道標は右から次の通り
①円海山之道
②かなさわ、かまくら道
③杉田道
④富岡山芋大明神社の道
お休み処にちょっと入ってみます。


中に2人の女性が座っていらしたので、「東海道に詳しいガイドの方かな?」と思ったのですが、どうやらそういうわけではなさそう。
「東海道を歩いているの?」と気さくに声をかけてくださったので、「ぶっ続けではなく何日かに分けてですが、日本橋からずっと歩いてます!」と答えると、「偉いわぁ〜!」「本当にすごいことよ!」と、ものすごく絶賛していただきました。
完全なる「褒められて伸びるタイプ」の私は、このお言葉に自己肯定感が爆上がり(笑)ありがたや。
お休み処には本がたくさんありました。休憩にゆっくり本を読むのもよさそうです。
次に駅がある場所がかなり先になってしまう為、今回東海道歩きはここまでです。


せっかくなので「政子の井戸」に寄り道します。
「程ヶ谷お休み処(程ヶ谷番所)」がある所を左に曲がり、踏切を渡って、信号を渡って、そのまままっすぐ坂を上がっていきます。

こんな感じの坂を上がっていきます。
「程ヶ谷お休み処(程ヶ谷番所)」から歩いてきている道が、実は道標にあった「かなさわ、かまくら道」です。


急に坂がきつくなりますが、上がっていくと右手に「御台所の井戸(政子の井戸)」があります。
北条政子がここを通りかかった時に、ここの井戸の水を汲んで化粧に使用したと伝わっています。
飲むんじゃなくて化粧に使ったのね。
明治天皇が本陣で休憩された時もこの井戸が使われたそうです。
次回は「程ヶ谷お休み処(程ヶ谷番所)」の続きを歩いていきます。お疲れ様でした。

