みなさん、こんにちは!東海道五十三次女子ひとり歩き旅、第15区のスタートです。
今回は藤沢駅からスタートし、かつて宿場町として大いに賑わった「藤沢宿」をじっくり巡りながら、辻堂駅を目指して歩きます!
藤沢宿周辺は、まさに歴史と伝説の宝庫。 歌舞伎で有名な小栗判官と照手姫ゆかりの地や、義経・弁慶の悲話が伝わる白旗神社、さらには旅籠で働いていた飯盛女が眠る場所まで、歩けば歩くほど深みが増すスポットばかりです。
宿場町を抜けた後も、ユニークな「おしゃれ地蔵」や大山道との分岐点など、見逃せないポイントが次々と登場! 歴史ファンはもちろん、街歩きが好きな方にもぜひおすすめしたい見どころ満載の区間を、写真たっぷりでご紹介します。
それでは、藤沢宿散歩へ出発しましょう!
藤沢駅北口を出て東海道歩きスタート
藤沢駅北口を出たら、そのまま「藤沢駅北口通り線」をまっすぐ歩いていきます。
つきあたり(「遊行ロータリー」の信号)にぶつかったら、そこを左に曲がってください。
歩いて行くと「藤沢橋」の信号があります。ここから前回の続きがスタートです!


その前に「藤沢橋」の信号の手前左側に「金砂山観音堂(鼻黒稲荷神社)」があるので、立ち寄っておきましょう。
「鼻黒」という独特な名称は、かつて藤沢宿で働いていた「飯盛女」たちの守り神だったことに由来すると考えられています。当時、梅毒で苦しむ女性たちの鼻に黒いカサができてしまう症状からその名がつき、彼女たちの無事や健康を祈る場所として大切にされてきたようです。

「藤沢橋」の信号で右側に渡りましょう。


うっかり見逃してしまいそうになりますが、ここには「江の島弁財天 道標」があります。
この石柱は、かつて江の島へと続く道筋に建てられていた道標の一つ。
本来は別の場所にありましたが、周辺の整備に伴い、現在の場所に移設されました。
実は、藤沢駅からここまで歩いてくる途中の「遊行ロータリー」交差点(左に曲がった場所)の右側にも、もう一つ道標がひっそりと立っています。


なまこ壁が目を引く建物の前に「旧東海道 藤沢宿 案内板」と、歌舞伎の演目でも有名な「小栗判官」を描いた浮世絵モチーフのデザインマンホールがあります。

そしてこの建物の左側に「遊行寺橋(旧大鋸橋)・高札場跡」の案内板があります。

奥に見えていた赤い橋が「遊行寺橋」です。
「藤沢市ふじさわ宿交流館」に立ち寄るのでこの橋を渡って、まっすぐ歩いて行きます。


すぐ右手に「藤沢市ふじさわ宿交流館」があります。
入場は無料で少し藤沢宿に関する展示もあるので、是非立ち寄りましょう。
藤沢宿の御宿場印もこちらで販売されています。
先ほどのデザインマンホールのマンホールカードも以前は配布していたようですが、私が行った時は在庫切れで配布されていませんでした。

「藤沢市ふじさわ宿交流館」の右側には復元された「藤沢宿高札場」があります。

また、「藤沢市ふじさわ宿交流館」の左側には「藤沢広小路跡」の案内板が立っています。
「広小路」とは、火災の延焼を防ぐために作られた「火除け地」のこと。火事が多かった江戸時代、8代将軍・徳川吉宗の命により全国の重要な社寺の門前に設けられるようになり、ここ遊行寺の門前にも作られました。
当時は「日本三大広小路」の一つに数えられていたとも言われています。すごいですよね!

「藤沢市ふじさわ宿交流館」を通り過ぎて、またまっすぐ歩いて行くと、すぐに「清浄光寺(遊行寺)惣門」があります。黒門と呼ばれる、大きな黒の冠木門です。
黒門をくぐると阿弥陀様の四十八願に例えて四十八段と呼ばれている階段が続いています。
惣門の前の「青銅製灯篭」は、浅草・芝などの江戸講中や戸塚宿など遠近の篤志社者が寄進したものだそうです。銘文に天保十三年(一八四二)八月の建立と書かれています。

「遊行寺」にも立ち寄りましょう。
「遊行寺」は正式名称を無量光院清浄光寺といい、一遍上人を開祖とする時宗の総本山です。


広い境内にはさまざまな見どころがありますが、歴史ファンや歌舞伎ファンなら絶対に見ておきたいのが「小栗判官」と「照手姫」のお墓と「小栗堂石碑」です。
二人の物語は、毒殺された小栗判官が閻魔大王から蘇生を許され、さまざまな試練を乗り越えて照手姫と再会を果たすという壮大な愛と復活のストーリー。
江戸時代には説経節や歌舞伎の演目として大ヒットし、当時の庶民を熱狂させました。
その大ブームの波に乗り、江戸の出版社(地本問屋など)がプロモーションやヒット祈願・感謝を込めて建立したのが「小栗堂」の石碑です。


高札場跡まで戻って、東海道歩きを再開します。
道に等間隔で置かれている電気設備の箱に、昔の藤沢宿の様子や歴史を感じる写真がプリントされていて、歩きながら楽しめました。

歩き始めてすぐ右手に「旧 桔梗屋」があります。
藤沢宿で茶・紙問屋を営んだ歴史ある旧家で、市内に現存する唯一の店蔵や文庫蔵など3棟が国登録有形文化財となっています。
おそらく道路を挟んで反対側あたりに「堀内本陣」があったのかなと思われるのですが、案内板はありませんでした。

少し歩くと「蒔田本陣跡」の案内板があります。


「蒔田本陣跡」の手前の曲がり角の突き当りに消防車が見えると思います。
あのあたりに徳川家康が上洛の際の宿泊のために築いた「藤沢御殿」があったと思われます。
案内板や少し遺構が以前あったようなのですが、探しても見つかりませんでした。

反対側に渡って少し歩くと、消防署出張所前あたりに「問屋場跡」の案内板があります。


歩いていると、さりげなく「藤沢宿」がアピールされていました。

「済美館 藤沢市民センター文分館」の脇に「弁慶塚のご案内」の案内板を見つけました!
存在自体知らなかったのですが、この後白旗神社などに立ち寄る予定だったので、ちょっとお参りしていきます。
済美館の手前を左に曲がり、最初の曲がり角を左に曲がります。



庚申塔群の一角に「弁慶塚」が主君の義経が祀られている白幡神社の方角に向いてひっそりとありました。
この塚がいつできたのかは不明だそうです。

次は「永勝寺」に寄り道をします。
少し歩いて、JAさがみ藤沢支店の手前を左に曲がって、少し歩くと左手にあります。

こちらのお寺には境内に「飯盛女の墓」があります。
「飯盛女」は江戸時代の宿場町の旅籠で食事の給仕や雑用を行う名目で置かれながら、実質的には旅人への性的サービス(売春)も行った女性のことを言います。親の借金の代償として売られて働いていた者が多く、個人の名が刻まれた墓を建ててもらえているのは珍しいと思います。
墓地の中に飯盛旅籠を営んでいた小松屋源蔵の墓があるのですが、その源蔵が小松屋が抱えていた飯盛女たちの墓を建てたそうで、37基の墓石に48体の法名が刻まれているそうです。(そのうち5体は男性)

元の道に戻って、反対側に渡ります。本町白旗交番の横の小道を入っていきましょう。

建物に囲まれた小さな公園の一角に「伝 源義経首洗井戸(星月夜の井戸)」があります。
奥州平泉で義経が自害したのは皆さまご存じだと思いますが、鎌倉の腰越で首実検が行われた後に浜に捨てられた義経の首は、川をさかのぼっていき、里人に拾われて、この井戸で清められたと伝えられています。


井戸だけではなく首塚もあります。

先を急ぎたい気持ちもありますが、進行方向から少し逸れて「白旗神社」に寄り道してみましょう。
「白旗」の信号の所を右に曲がって歩いて行くと、「白旗神社」があります。


「白旗神社」に着きました。
境内にあった説明書きによると「首実検の後、夜の間に義経と弁慶の首がこの神社に飛んできた。頼朝に伝えると、白幡明神としてこの神社に祀るようにとのことで、義経を御祭神とし、のちに白旗神社と呼ばれるようになった。」とのことです。飛んできたのかー

境内に「江の島弁財天道標」がありました。
もとは48基あったそうですが、現在残っているのは10基だそうです。


境内にはほかに「源義経公鎮霊碑」や「弁慶の力石」があります。
「源義経公鎮霊碑」の説明文では、川で流れついた説が書かれていました。
また「弁慶の力石」の説明文によると、弁慶がもち上げたなど弁慶ゆかりの石ではないようです。

ちなみに「白旗神社」の「白旗」とは、源氏(河内源氏)が合戦の時に使った白い旗のことを指します。
運動会の赤組と白組の分かれ方は、平安時代末期の源平合戦で平氏が「紅旗」、源氏が「白旗」を掲げて戦ったことに由来しているんですよ。

「白旗」の信号まで戻り、東海道歩き再開です。
少し歩くと「伊勢山橋」があります。その下が小田急「藤沢本町駅」です。
きりは良いのですが、今回はもう少し先まで歩きましょう。

橋を渡り切って少し歩くと、「藤沢宿京見附跡」の案内板があります。
藤沢宿内はここで終わりということになります。

宿内から出たので、見どころはかなり少なくなりますが、ひたすら道沿いに歩きます。
「湘南高校入口」の信号の前通り過ぎますが、湘南高校って神奈川県内の公立高校でトップクラスですよね。

基本的には道沿いに歩いて行けばよいのですが、一か所だけトリッキーな箇所があります。
「たこ焼き 風天」さんの所がY字路になっているのですが、どちらが東海道だと思いますか?
正解は右側です。
車が通ってるし、道幅も広いので左側に行きたくなりますが、右側に行きましょう。
右側に行っても左に曲がって、同じ道に戻るので間違えても問題はありません。

引地橋を渡ってしばらく歩くと「養命寺」があります。
かつて街道を往来する旅人が渡った「薬師橋(現在の引地橋)」の由来となった薬師如来を祀る、歴史的なゆかりを持つ寺院です。

薬師如来は現在「鎌倉国宝館」に預けられているそうです。

「養命寺」の道を挟んで反対側に「羽鳥の道祖神(通称:おしゃれ地蔵)」があります。
「女性の願い事なら何でも叶えてくださる」と言い伝えられており、満願のあかつきには、満願のあかつきには白粉を塗ってお礼参りをする慣わしがあります。
白粉を塗っていることから「おしゃれ地蔵」と呼ばれていますが、実際は双対道祖神のようです。
白粉どころか口紅も塗られていますね。

緩やかな坂を上がっていると右手にメルシャンワインの工場がありました。

そこからは道沿いにひたすら歩きます。途中「小さな鳥居」があります。

ずっと歩くと道に突き当りますので、左に曲がります。

左に曲がると何かが見えて気になったので、見に行ってみます。

ここは東海道と大山道の分岐で、右に行くと大山道です。(この後歩く左は東海道)
この大山道と東海道が交差する四ツ谷辻に、不動堂が建てられ、大山不動尊の下正面に不動明王を表す梵字と「大山道」、両脇に「是より右大山みち」と刻まれています。
不動尊の左手にある道標は万治四年(1661)に江戸横山町道中によって建てられたものです。
また不動尊の右手にある昭和34年(1959)に再建された大山の鳥居は、大山阿夫利神社の一の鳥居です。

四ツ谷不動尊(田村通り大山道入口)をみたら、そのまま右側の道を歩きましょう。
日本橋から、もう54kmも歩いてきたんですね。


途中「四谷一里塚跡」がありますが、杭が建っているだけなので、スルーしないように気を付けてください。

突然、松並木が現れました。
東海道の名残りだと思いますが、特にGoogleマップにも載ってないですし、案内板などもありませんでした。

松並木を歩いていると「二ッ家稲荷神社」があります。
江戸時代、この地は東海道を通る旅人や、大山参り(阿夫利神社)に向かう行者たちが休憩する立場茶屋がある場所でした。
「茶屋が2軒(二ツ家)あったこと」が、そのまま「二ツ家(二ツ谷)」という地名の由来になったそうです。

境内には「庚申供養塔」があります。三猿がいますね。

今回はここまでとします。
「二ツ谷バス停前」の信号の所、すき家の手前を左に曲がって歩いて行くと辻堂駅に着きます。


辻堂駅に向かう途中、ココテラス湘南の中に「藤澤浮世絵館」があります。
入館料無料なので、是非立ち寄ってみてください。

