いよいよ今回から、東海道五十三次の旅がスタートします!
最初の区間は、すべての道の起点である「日本橋」から「新橋駅」まで。
これから長い旅路を歩み始めるにあたって、この日本橋からのスタートは非常に歩きやすく、モチベーションを維持するのに最適な道筋です。
東海道歩きのスタートに「日本橋」が適している理由
本格的に歩き始めて感じたのは、日本橋からの道がいかに初心者にとって優しいかということです。
- 賑やかな景観で飽きがこない: 日本橋から銀座、そして新橋へと続く道は、日本屈指のショッピング街。常に人通りがあり、華やかな街並みが続くため、足の疲れを感じる暇がないほど景色を楽しめます。
- 道がまっすぐで分かりやすい: 東海道は意外なところで細い路地に入ることが多いのですが、この区間は道が広く、ずっとまっすぐ。道に迷う心配がほとんどなく、スムーズに歩き出すことができます。
- 街に溶け込む史跡の数々: 近代的なビルが立ち並ぶ中に、ふとした瞬間に江戸時代の名残を感じさせる石碑が現れます。都会の風景の中に歴史を探す楽しさを、最初から存分に味わえます。
初回は無理せず「新橋駅」で区切る
本来、日本橋の次の宿場は「品川宿」ですが、このブログでは「無理をせず、キリの良いところで区切る」ことをおすすめしています。
そのため、今回は品川まで一気に行かず、交通の便も良く区切りの良い「新橋駅」をゴールに設定しました。
「まずはお試しで少しだけ歩いてみたい」という方にとっても、ちょうど良い距離感です。
道中の各スポットに隠された興味深い歴史的背景については、下の記事ので詳しくまとめています。
本番前の予習に是非役立ててください。

日本橋三越を背に東海道歩きをスタート

日本橋渡る前(北詰)から、まず歩き始めます。
右に立っている電燈のようなものと緑があるところが「元標広場」です。

この丸に「日本国道路元標」と書いてあるものはレプリカですが、日本の国道の起点を示す標識です。
「日本国道路元標」の文字は、設置された当時の総理大臣・佐藤栄作の書だそうです。
右に立っている「東京市道路元標」と書かれた青銅製照明灯は重要文化財になっています。
明治に入ってから、日本橋の中央が国道の起点と定められ、現在も「日本国道路元標」の本物が橋の中央部に埋め込まれています。
普通に車が走ってますし、歩いている所から2車線先で距離があるので、見えづらいと思いますが、橋を渡る時に探してみてください。


4隅の親柱に掲げられた「日本橋」および「にほんばし」の文字は、最後の将軍 徳川慶喜の揮毫によるものです。達筆です。
ちなみにここに限らず橋の名前を漢字とひらがなで表記するという決まりがあり、橋の起点側を漢字に、終点側をひらがなにするルールだそうです。

また橋の中央には東京の繁栄を象徴する「麒麟」、橋の端(親柱)には東京市の紋章を抱えた「唐獅子」の青銅像が配されています。
東野圭吾の加賀恭一郎シリーズを原作とした2012年公開の人気ミステリー映画『麒麟の翼 〜劇場版・新参者〜』で、この麒麟像が登場していましたね。

橋を渡ると右側に「日本橋由来記の碑」があります。
銅板には徳川慶喜筆の「日本橋」の文字や、広重の浮世絵(江戸百景)が描写されています。
ここは実は江戸時代の高札場跡に位置します。法度・掟書・犯罪者の人相書などが掲示されていた所です。
ちなみに道路を挟んだ反対側(日本橋交番前の広場)には晒場がありました。
心中未遂、女犯僧、主人を殺傷した者などが見せしめになるんですよー

「日本橋由来記の碑」の横は「日本橋観光案内所」です。
御宿場印帳と日本橋の御宿場印はこちらで販売しています。
案内所からはしばらく歩きます。(右側を歩いて行ってください)

信号を渡った先に「越後屋」がある大きい通りに差し掛かったら、中間にあるモニュメントに注目してください。

八重洲の地名の由来「ヤン・ヨーステン」の記念碑です。
オランダ人航海士ヤン・ヨーステン。彼の日本名「耶揚子(やようす)」が転じて、現在の「八重洲(やえす)」という地名になりました。
江戸時代、この周辺に彼の屋敷があったことからこの場所に設置されています。
モニュメントには彼の肖像とともに、彼が日本に漂着した時に乗っていたリーフデ号もデザインされています。

また右側歩いていくと京橋エドグランの「明治屋」が見えてきます。
京橋エドグラン内に「中央区観光情報センター」があるので、寄っていくのがおすすめです。


観光案内所ではないので無人ですが、無料のガイドが入手できます。(私が行ったときは東海道に特化したものはありませんでした)

少し歩いていくと斜めに入る細い道があり、その入り口に「江戸歌舞伎発祥の地」の碑があります。
見逃しそうな位置にあるので要注意です。
寛永元年(1624)、猿若勘三郎(初代中村勘三郎)が中橋の地に櫓を上げ、「猿若座」を構えました。
これが江戸で初めて官許を得た芝居の幕開けとなり、江戸歌舞伎の輝かしい歴史の起点とされています。


元の道に戻ると「京橋の親柱」があります。
これは明治8年(1875年)に架け替えられた際のもので、江戸時代の伝統的な形式を残した石造りの親柱です。

道路を挟んで反対側には「京橋の碑」があります。
これは大正11年(1922)に完成した京橋の親柱で、当時の最先端だったアール・デコ様式を取り入れた、重厚かつ華やかなデザインが特徴です。
この碑は、かつての京橋が「擬宝珠」を冠することを許された、特別な格式を持つ橋であったことを伝えています。
江戸時代、公儀の橋として幕府に管理されていたのは、日本橋、新橋、そしてこの京橋のみでした。

「京橋の碑」からまた歩き始めるとすぐに「銀座コージーコーナー」が現れます。
よくよく考えてみたら「銀座」と名前に付いてますね。
昭和23年(1948)銀座六丁目に第一号店がオープンしたのが発祥だそうです。
ここから銀座のブランド街に突入します。

道の左側を歩き続けていると「銀座発祥の地」の碑があります。
慶長17年(1612)に、徳川家康が駿府からこの地に銀貨鋳造を担う「銀座」を移しました。
江戸幕府の貨幣制度の要所であったこの場所が、数百年を経て日本を代表する商業地へと進化したのですね。

反対側(進行方向向かって右側)に渡って歩いていくとあんぱんで有名な「木村屋」總本店があります。
あんパンの歴史は、明治2年に新橋付近で開業した「木村屋総本店」から始まりました。
創業6年目の明治8年、同店は世界で初めてパンの中に餡を包み込むことに成功しました。

「木村屋總本店」を通り過ぎると、和光の時計台や三越が建つ、銀座のシンボルともいえる「銀座四丁目交差点」に着きます。


反対側に渡ると「銀座三越」があり、正面玄関に「ライオン像」があります。
写真はコロナが流行っている時期に撮ったものなので「ライオン像」がマスクを着用しています。
季節のイベントやブランドとのコラボなので何かを身に着けていることが多々あります。

銀座三越側から信号を渡り、歩いていくとGINZA SIXがあります。(道路挟んで反対側から撮影)

そしてその先に「ライオンビヤホール」があります。(道路挟んで反対側から撮影)
「銀座ライオン」というくらいだから、やはり銀座発祥?と思い調べたところ、昭和9年(1934)にこの銀座ライオンビルの1階にビヤホールが開店。現存する日本最古のビヤホールだそうです。
写真で店内を見たところ、レトロですごく良い雰囲気でした!

「肉のハナマサ」や「ドン・キホーテ銀座本館」が見えたら、信号を渡らずに左に曲がってみましょう。


草の中に「芝口御門跡」の碑が埋もれています。
「芝口御門」は江戸城の外郭門のひとつで、もともとは「新橋門」と呼ばれていました。
正徳1年(1711)、朝鮮使節の来日にあわせて江戸の威容を知らしめるために、新井白石の進言によって日本橋の「並木通り」に匹敵する壮麗な門へと建て替えられました。その際、名称も「芝口御門」と改められました。
この門は、江戸のメインストリートである東海道に直結しており、まさに「江戸の南の玄関口」でした。

先ほどの道に戻って信号を渡り、「肉のハナマサ」や「ドン・キホーテ銀座本館」の前を通り過ぎると
その横に「新橋親柱」がひっそりと建っています。
銀座と新橋の境界に位置するこの親柱は、大正14年(1925)の改築時に設置されたもの。
橋としての役目を終えた今も、新橋という地名の由来を証明する大切な道標となっています。

そして、その横には「銀座の柳碑」があります。
明治時代、銀座の街路樹として植えられた柳は、歌謡曲「銀座の柳」でも歌われるなど、長年この街の象徴として親しまれてきたそうです。
Youtubeで聞いてみましたが、耳にしたことはない曲だけれど、THE明治の歌謡曲といった感じでした。

この交差点にたどりついたら右にむかって行くとJR新橋駅に着きます。
(奥に見える電車のホームはゆりかもめの新橋駅です。)
今回のゴールに到着です。お疲れ様でした!

