今回はついに、東海道の記念すべき1番目の宿場町「品川宿」を歩いていきます。
その中でも今回は、「歩行新宿」から「北品川宿」エリアを中心にじっくりご紹介します!
周辺にはぜひ立ち寄ってほしい見どころが本当にたくさんあります。
街道から少し外れるスポットについては別途記事で詳しくご紹介しますので、そちらも合わせてチェックしてみてくださいね。
この記事では、このエリアの主要な見どころをギュッと詰め込んでお届けしますので、「まずは北品川周辺エリアをピンポイントで観光したい!」という方にもぴったりの内容になっています。
※新八ツ山橋渡り切った後、ルートがぐるっとなってしまってますが、気にせず、右に曲がって踏切の方に進んでください。
JR品川駅高輪口を出て東海道歩きをスタート

JR品川駅高輪口を出たら、左に歩いていきます。


少し歩くとちょうど線路の上に架かる橋が登場します。この橋が「新八ツ山橋」です。
明治5年(1872)に最初に架けられたのちに、大正2年(1913)、昭和5年(1930)、昭和60年(1985)に架け替えられ、現在4代目となります。
昭和29年(1954)の初代『ゴジラ』でゴジラが初めて陸地に足を踏み入れたのがこの橋だったそうです。
橋を渡り切った右側に「八ツ山橋旧橋親橋」があります。

ちょっとした広場みたいなところに「東海道品川宿まち歩きマップ」があります。
ちなみに今回の記事では、街道沿いにある見どころだけを、歩く道順に合わせて写真付きでご紹介します。
基本的には、左右をきょろきょろと見渡しながら、この記事の写真をヒントに歩いていけば、大事なスポットを見落とす心配はありませんよ!

この踏切の左に「東海道 品川宿 地内」の傍示杭があります。
(写ってなかったので近日写真撮り直しに行きます。。。)
ここから先が「品川宿」というわけです。踏切を渡って「品川宿」探索スタートです!

少し歩くと左に「問答河岸跡」の碑がひっそりと建っています。
三代将軍・徳川家光が船で東海寺を訪れた際、出迎えた沢庵和尚(たくあん漬けの考案者)との間で交わされた、有名な禅問答の舞台として知られています。
家光が「海のすぐ近くにあるのに、なぜ『遠(東)海寺』と言うのか」と問いかけたのに対し、沢庵和尚は「大君(将軍)の御代(みよ=遠)が末永く続くからこそ、東海寺なのです」と、将軍の治世を称える最高のユーモアで見事な切り返しを披露しました。
この機知に富んだやり取りを大変気に入った家光が、この波止場を「問答河岸」と呼ぶよう命じたとされています。
今では当時の面影はありませんが、かつては東側がすぐ海に面しており、この品川宿の東海道はまさに海沿いの道だったのです。

「北品川本通り商店街」に入っていきます。
右に曲がると京急「北品川駅」です。


左手、ロイヤルガーデン品川の前に「歩行新宿 土蔵相模跡」の碑、ファミマ横のニックハイム北品川の前に「土蔵相模」の案内板があります。
「土蔵相模」は旅籠屋を営む「相模屋」の俗称で、「外壁が土蔵のような海鼠壁だったから」「海の見える見通し之間が土蔵造りだったから」などの説があります。
「桜田門外の変」では水戸浪士、品川御殿山の英国公使館の焼き討ちでは攘夷論者の高杉晋作や伊藤博文ら長州藩士が、ここで密儀をしたと言われています。

商店街を歩いていると、いたる所に他の宿場町からやってきた「街道松」が植えられているのに気づきます。
例えば、こちらは27番目の宿場町である「袋井宿」の街道松。
実はこれ、品川宿と全国の宿場町との友好の証として寄贈されたものなのだそうです。


少し歩くと細長い「品海公園」があり、中に入っていくと「品川宿石碑」があります。
「日本橋より二里 川崎宿へ二里半」と書かれていますが、江戸時代の距離の単位では、「一里=約4キロ」とされていました。
これに当てはめると、ここは日本橋から約8キロの地点で、次の川崎宿までは約10キロの距離があることを示しています。
東海道の宿場町は、旅人が1日に歩ける距離や休憩のタイミングを考慮して、だいたい「二里〜三里(約8〜12キロ)」の間隔で配置されていました。

Googleマップではここに「品川一里塚跡」とピンが立てられています。
「一里塚」とは、主要な街道沿いに一里(約4キロ)ごとに築かれた塚(土盛り)のこと。
その上に植えられた大木は、旅人に距離を知らせる目印や、木陰で休む休憩所としての役割を持っていました。
この一里塚は江戸中期には解体されていた、もしくはそもそも築造されなかったと言われています。
公園内には立派な「品川宿の松」が植えられており、「もしかして、当時の一里塚の松が今も残っているのかな?」とも思ったのですが、どうやら違うようです。
案内板をよく読んでみると、「この品海公園の改修工事の竣工を記念して、品川宿の方々から寄付されたもの」とのこと。

花壇に使われているのは、もともと品川宿の街道筋の土留めと目黒川の護岸を兼ねた石垣だったそうです。
元々は伊豆半島産の安山石(伊豆石)でしたが、産地が近くて、柔らかくて切り出しやすい千葉鋸山産の凝灰岩(房州石)に切り替わったそうです。
この石垣の石は房州石で、幕末から明治に加工されたものと考えられています。
私は元々の専門が「お城」なんです。
そのため、江戸城の石垣の大部分を占める静岡県(伊豆半島)産の「伊豆石」がかつて使われていたという話や石材を見るとどうしても興味をそそられてしまいます。

マンションの前にあった「東海道品川宿」のベンチ?案内モニュメント?

商店街の要所に建てられている「東海道品川宿」の街路灯がおしゃれで良い感じです。

「尾張屋」は明治23年(1890)創業の老舗呉服店です。
昔ながらの半纏が良い感じで、買おうか悩みました。

その斜め向かいくらいにある「丸屋履物店」は慶応元年(1865)創業の和装履物専門店。
明治末期に建築されたこの建物も素敵です。
カスタマイズして履物を作ってくださるそうなので、今度作って頂こうと思っています。

そのまた斜め向かいくらいにあるのが「一心寺」です。
実はここ、品川宿の旧東海道沿いで、海側に位置する唯一のお寺でもあります。


少し歩いていくと「品川本陣跡」の石碑があります。
「本陣(ほんじん)」とは、江戸時代に参勤交代で街道を行き来する大名(諸大名)や公家、幕府の公式な役人などが宿泊・休憩するために指定された、宿場町で最高格式を誇る公式の宿のことです。
品川宿には、はじめは北品川宿に1軒、南品川宿に1軒の計2軒の本陣が置かれていましたが、南品川宿の本陣は早くになくなり、その後は北品川宿の1軒のみとなりました。
こちらはその「北品川宿の本陣」です。
本陣は案内版の写真のように格式の高い建築様式が用いられていました。


多くの諸大名が利用したことはもちろん、明治元年には東京へ向かわれる明治天皇の宿泊所(行在所)にもなりました。
これを含め、計3回明治天皇の行在所となりました。
本陣跡は、現在は「聖蹟公園」という名前の公園になっています。
実は「聖蹟(せいせき)」という言葉には、「天皇が訪れた場所(足跡)」という意味があります。
まさに明治天皇が3度も滞在された由緒正しき場所だからこそ、この特別な名前がつけられたのです。

「東海道北品川」の交差点に出たら右に行くと「新馬場駅」に着きます。
マップも新馬場駅までのルートになっていますが、今回は北品川宿と南品川宿の境の品川橋まで案内します。

右に曲がって駅には向かわず、信号渡ってまっすぐ行くと「品川宿交流館 本宿お休み処」があります。
無料休憩所や品川宿の歴史と文化を紹介しているスペースがあるほか、品川宿のパンフレットもあったので、立ち寄るとよいと思います。品川宿の御宿場印もこちらで販売しています。
月曜(祝日の場合は翌火曜)が休館なので、注意です。

「品川宿交流館 本宿お休み処」を出て少し歩くとすぐ「品川橋」に着きます。
次回は「南品川宿」エリアを案内します。お疲れさまでした。

