今回は、東海道の1番目の宿場町「品川宿」の後半「南品川宿」エリアを歩いていきます。
南品川宿の範囲と言われているのは、目黒川に架かる「品川橋」付近から、現在の「品川寺(ほんせんじ)」や京急線「青物横丁駅」と「鮫洲駅」の間付近まで。
その境界を越えると、気づけばあたりは落ち着いた住宅街へと景色を変えていきます。
宿場町の内と外が切り替わる感覚を、現代でも肌で感じ取ることができるエリアです。
京急新馬場駅北口を出て東海道歩きをスタート


前回、品川橋まで説明しましたので、まずは新馬場駅から品川橋までを案内します。
新馬場駅 北口を出たら、目の前の大きな通り(第一京浜)に沿って左(大森・蒲田方面)へ進みます。
約150mほど直進して最初の角(「北品川二丁目」交差点)を信号を渡ってから左に曲がり、約200m直進します。
「東海道北品川」交差点まで来たら右に曲がって、直進すると「品川宿交流館 本宿お休み処」があり、さらに進むと「品川橋」にたどり着きます。

品川橋を渡り切ると、「旧品川警察署品川橋交通待機所(南品川櫻河岸まちなか観光案内所)」があります。
この建物は、昭和4年(1929)に品川警察署の「品川橋巡査派出所」として建設されました。
その歴史的価値が認められ、令和5年(2023)には国の登録有形文化財(建造物)に指定されています。
令和2年(2020)に東京都から品川区へと所有が移り、令和4年(2022)のリニューアルを経て、現在は地域の歴史や魅力を発信する観光案内所として親しまれています。

この建物の前にシナモンロール(品川紋次郎)のデザインマンホールがありますので、お見逃しなく。

観光案内所の道を挟んだ向かい側には、城南信用金庫があります。その敷地内には「是より南 南品川宿」と書かれた案内板が立っており、かつてここが宿場の境界だったことを教えてくれます。
実は、この城南信用金庫がある場所には、大名や公家などが宿泊する「本陣」の補助的・予備的な役割を果たした宿泊施設「脇本陣」が置かれていました。


少し歩くと右手に「街道松の広場」があり、立派な「浜松宿の街道松」が植えられています。

次の信号を渡った先の左角、「株式会社 製菓実験社」がある所が品川宿の「問屋場・貫目改所」跡です。
江戸時代、宿場町で人や馬による荷物リレー(人馬の継立)を取り仕切っていたのが「問屋場」という役所です。
品川宿の問屋場では、幕府の公用で旅をする人のために、次の宿場にあたる日本橋や川崎宿まで荷物を運ぶ人手や馬を常時用意していました。
一般の庶民や商人が利用する場合は、この問屋場で運賃を交渉して手配してもらう仕組みになっていました。
ただし、多くの庶民は問屋場を通さず、道端の駕篭かきや馬子と直接交渉して旅を楽しんでいたようです。
正徳2年(1712)になると、この問屋場と同じ建物の中に「貫目改所」という新しい施設が作られます。
ここは、馬に載せる荷物がルール通りの重さになっているかを計量・検査する、現代でいう「過積載の取締所」のような場所でした。

少し歩くと右手に「南品川二丁目児童遊園」があり、「三島宿の街道松」があります。

「東海道品川宿石積護岸」の案内版もありました。
江戸時代の東海道品川宿は、実は海に面したロケーションにありました。
そのため、激しい波(波濤)から街道や町を守る必要があり、強固な石積みの護岸が張り巡らされていたのです。
近代の都市開発によってその多くが失われてしまいましたが、実は今も地上に露出した状態で現存している貴重な遺構がすぐ近くにあるようです。

しばらく歩いて左側、「プラウドフラット南品川」の前に「宮川家旧宅跡」の案内板があります。
ここに暮らしていた宮川家は、江戸時代の中期から玄米を精米して販売する「春米屋(つきよねや)」という米屋を営んでいた商家です。
その技術や信頼は確かなもので、江戸城内で使われる米の精米(米搗き)を交代制で任されるほどの大店(おおだな)でした。


少し行って右手にある「品川区立城南小学校・城南幼稚園」の門前には、西郷隆盛との直談判で「江戸無血開城」への道を切り拓いた山岡鉄舟の「城南校」の揮毫があります。
これは複製で、原物は校舎内に展示してあるそうです。


小学校の2つ隣くらいにある「天妙国寺(てんみょうこくじ)」。
天正18年(1590)、徳川家康が江戸へと入る際に宿舎として利用したのが、ここ「天妙国寺」です。
その翌年には、幕府から10石の寺領(領地)を寄進されるなど、徳川家と深い繋がりを持っていました。
寺に伝わる貴重な記録『御三代成之覚(ごさんだいなりゆきのおぼえ)』を紐解くと、歴代将軍の宿泊実績が克明に残されています。
初代家康が1回、2代秀忠が2回。そして驚くべきは3代家光で、なんと44回もこの寺に泊まったと記されています。

そしてすぐ近く、右手にある「畳 松岡」は見てわかるように老舗。
江戸時代中期、安永8年(1779)に創業した歴史ある畳店です。
かつて近隣にあった仙台藩下屋敷の「お抱え職人」として始まったルーツを持ち、現在も旧東海道沿いで伝統の技を守り続けています。

さらに少し歩いて左手、マンションか何かの入り口には「不老門の石碑」が立っています。
調べても信用できる情報が出てこなかったので、謎です。


信号を渡った先にある「青物横丁商店街(あおよこ)」。
「青物横丁」の名は江戸時代、農民たちが野菜(青物)を持ち寄る市場がこの地にあったことにちなんでいます。
ここを右折すると京急「青物横丁」駅へ向かうことができます。


「青物横丁商店街」を歩き始めたら、右手に「品川寺(ほんせんじ)」があります。
まず山門前で出迎えてくれるのが、大きな「江戸六地蔵(第1番)」。江戸に出入りする主要な街道の入り口に安置されたお地蔵様の一つで、かつて東海道を行き交う旅人たちの道中安全を静かに見守り続けてきました。

そしてもう一つの見どころが、数数奇な運命をたどった「大梵鐘」です。
幕末から明治にかけて一度は海外へ流出してしまったものの、大正時代にスイスのジュネーブで発見され、昭和5年に奇跡の帰還を果たしました。
この国境を越えた絆が縁となり、現在の品川区とジュネーブ市の友好都市提携へと繋がっています。

品川寺の近くにこんなシャッターがありました。

ここからはひたすら歩きます。


「青物横丁商店街」を抜けると、デザイン街灯の字が「東海道 龍馬がゆく」に変わっていました。
(右の写真はこれまでのデザイン街灯)
そして路側帯もグリーンになってます。


そして「鮫洲商店街」に入っていきます。商店街というよりも住宅街っぽい感じです。
ファミリーマートの店名に「旧東海道」と入っているのが良いなと思いました。

ひたすら歩きます。

ひたすら歩いていると右手に現れる「そば会席 立会川 吉田家」は安政3年(1856)創業の超老舗で、勝海舟をはじめ、坂本龍馬や山岡鉄舟など明治維新の立役者たちから贔屓にされていたそうです。
「東海道」と書かれた石碑があったのですが、由緒あるものなのかは不明です。

「立会川龍馬通り繁栄会」の旗が見えてきました。
馬が袴着ててかわいいです。ご当地キャラでしょうか。

人がかなり多くなってくるのでわかると思いますが、橋の手前を右に曲がって歩いていくと京急「立会川」駅に着きます。
今回の東海道歩きはここまで!
次回は若き日の坂本龍馬がこの地で過ごしたという足跡をたどり、さらに、かつての刑場跡である「鈴ヶ森刑場跡」などを巡りながら、東海道の終わりなき旅をさらに南へと進めていきます。どうぞお楽しみに!

