みなさん、こんにちは。
旧東海道を自分の足で一歩ずつ紡いでいく「女子ひとり歩き旅」。
第7区で川崎宿をあとにしましたが、今回は第8区として京急鶴見駅から東神奈川駅を目指します。
今回の旅路のハイライトは、旧東海道の歴史を語る上で外すことのできない「生麦村」。
明治維新への引き金ともなった、あの「生麦事件」の碑を訪ねます。
かつて異国の旅人と薩摩藩の行列が遭遇したまさにその場所を、現代の私が歩いていると思うと、なんだか不思議な緊張感とロマンが込み上げてきます。
宿場町と宿場町の間にある「間の宿(あいのしゅく)」の面影を探しながら神奈川宿の入り口付近まで、今日もスマホを片手にマイペースな歴史探索へ。
第8区の旅、いよいよ始まります!
京急鶴見駅東口から東海道歩きをスタート

京急鶴見駅東口にある「ベルロード」こと鶴見銀座商店街を歩いていきます。

今回歩いていくのがこの辺り。今回のゴールの「東神奈川駅」はちょうど神奈川宿に入る手前です。

「ESPLAN」というパン屋さんの所にひっそり「サボテン(覇王樹)茶屋跡の碑」があります。
茶屋の店主が長崎から持ち帰ったウチワサボテンを店先に植えたところ、4mもの大きさに育ち、「サボテン茶屋」と呼ばれ、有名になりました。坂本龍馬や宮本武蔵も立ち寄ったようです。

「サボテン(覇王樹)茶屋跡の碑」を過ぎたら、ひたすら道を歩きます。

「下野谷町入口」の交差点にたどり着くと、どっちに歩くのか迷いますが、正面の細い道(オレンジのひさしがある所)に入りましょう。

こんな道を歩いていきます。
先に見えるガードレールのところは今回の見どころスポットの1つなので、近づいていきましょう。


ちょっと怖いのでびっくりするかもしれません。

右手にSuicaの機械が置いてあったり、時刻表があるので、もしかしたら気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、こちらは昭和5年(1930)に建築された鶴見線国道駅です。
無人駅ですが、現在も使われています。
太平洋戦争中に受けた機銃掃射の銃痕が壁や天井に多数残っているようですが、雰囲気が怖すぎたため退散。


そこから道を歩き進めていくと「生麦魚河岸通り」という名前の道になっていくのですが、通るのが夕方だったので、どのお店もシャッターが閉まってました。
現在もお魚屋さんが結構あるらしいのですが、実態はわからず。


さらに歩いていくと右手に「道念稲荷神社」があります。
実はここ、鶴見を代表する一風変わったお祭り「蛇も蚊も」の発祥の地なんです!
「蛇も蚊も」とは、毎年6月に行われる300年以上の歴史を持つ伝統行事。
カヤ(植物)を編み込んで作った、長さ20メートル、重さ150キロ近くもある巨大な「蛇(大蛇)」を地域の人々が担ぎ、町内を練り歩きます。
お祭りの名前には、「悪疫退散(悪い病気の流行を防ぐ)」の願いが込められていて、
「蛇も蚊も、出ぬように(病気をもたらす悪霊や、害虫の蚊などは町から出ていけ!)」と大声を張り上げながら、大蛇をうねらせる姿は迫力満点だそうです。


さらに歩いていくと右手に「生麦事件発生場所」の案内板があります。
住宅の脇にポツンとあるので、見逃さないように要注意です!
目印はこの地面が赤く塗られている部分!この赤い部分に突入する手前の右側の住宅の所にあります。
斜め向かいには「まいばすけっと 生麦3丁目店」があります。
「もしやこの赤い塗装は生麦事件の場所を知らせるためなのでは!?」と思ったのですが、この場所以外にもこの後赤い塗装の箇所があったと思うので、違うようです。赤い血を表現したのだとしたら怖すぎますしね。
生麦事件とは、幕末の文久二年(1862年)、まさにこの旧東海道の生麦村で起きた、歴史を揺るがす国際大事件です。
当時、京都から江戸へ向かう途中だった薩摩藩(現在の鹿児島県)の大名行列の前に、馬に乗った4人のイギリス人が乱入してしまいました。
「大名行列の前を横切る、あるいは立ち塞がる」ということは、当時の日本(武士の社会)では絶対に許されない大変な無礼。行列の警備をしていた薩摩藩士たちは非難の声を浴びせますが、言葉が通じないイギリス人たちはそのまま進もうとしてしまいます。ついに激怒した藩士たちが刀を抜き、イギリス人たちを切りつけ、1名が死亡、2名が重傷を負うという惨事になってしまいました。
この事件にイギリス側は猛抗議。のちに「薩英戦争(さつえいせんそう)」へと発展します。しかし、この戦争をきっかけに薩摩藩はイギリスの近代的な軍事力を思い知り、逆にイギリスと手を結んで「倒幕(幕府を倒すこと)」へと突き進む、明治維新への大きなターニングポイントとなった場所なのです。

信号渡ってさらに歩いていきます。


信号を渡って2つ目の所を右に渡った所にある「生麦神明社」に立ち寄りました。
「蛇も蚊も」はさきほどの道念稲荷神社(原地区)とここ生麦神明社(本宮地区)に継承されており、もとはカヤ(植物)を編み込んで作った蛇体を一体ずつ作り、原のものが雌蛇、本宮のものが雄蛇として、境界で絡み合いをさせた後、夕刻に海に流していたそうです。
現在は両社別々の行事となっているそうです。
隣にある「生麦神明公園」には蛇の遊具がありました。


元の道に戻って少し歩くと「キリンの工場」があります。
またいつでも立ち入れるわけではないですが、「生麦キリン緑地」が開放されています。

キリンの工場があるので、もしや地名の「生麦」は「昔、麦がこの辺りでよく取れたからなのでは?」と思ったのですが、違うようです(笑)
説①:将軍の馬の「生麦(なまむぎ:刈りたての青麦)」から
江戸時代初期、徳川将軍がこの地を通った際、村人が将軍の乗る馬のために「刈りたての新鮮な青麦(生麦)」を献上しました。これを将軍が大層喜び、「これからはここを生麦村と呼びなさい」と名付けたという説。
説②:地形の「生(なま)」+「むき(向)」から
もともとは、海に面した湿地や荒地を指す「生(なま)」と、地形が向かい合っていることを示す「向(むき)」が合わさって「なまむき」となり、そこに後から「生麦」という漢字が当てられたという説。
ちなみに、当時の生麦村の名産品は麦ではなく、目の前の豊かな海で獲れる「魚や貝(特にアサリやアナゴなど)」でした(前回の記事で通った「生麦魚河岸通り」はその名残です)。


工場の前の道を歩いていくと、左手に「生麦事件碑」があります。
先ほど生麦事件でイギリス人1名が死亡したという説明文を書きましたが、ここはイギリス商人リチャードソンが落命した場所。
明治十六年(1883)にこの地の所有者である黒川荘三という方が教育学者 中村敬宇に依頼してこの遭難碑を建てたそうです。
京急生麦駅の近くに「生麦事件参考館」というのが新しくできたようなので、そのうち行ってみたいと思っています。

ちなみにキリンの工場見学とレストランは予約制みたいです。

引き続き道を進んでいきます。
くだらないことですいません!この「得だわ!チャリ安」が徳川家康のモジりだと気づいてしまい、自分的にはかなり面白かったので、載せておきます(笑)

Googleマップ上に「東子安一里塚」の表記があったのですが、みつかりませんでした。
おそらくこの工事現場の中だと思われますが、前は壁に説明版が貼られていたようです。
このまま説明版がなくならないとよいですが。


道の反対側に渡って「遍照院」に立ち寄ります。
「遍照院」の最大の特徴は、第一京浜側から続く参道の山門直前に京急本線の踏切が設置されている点にあります。境内地を鉄道の線路が縦断する独特の境内構造から、古くより「踏切寺」の通称で広く知られてきました。
元々は現在の位置より少し離れたところに創建されましたが、天正十八年(1590)の徳川家康の関東入国に伴い、東海道に面した現在地へと移設されました。
現存する山門は天明・明治の火災や関東大震災、さらには戦災をも免れた江戸時代の貴重な遺構です。

元の道に戻って、左側を歩いていると「トマトケチャップ発祥の地」という面白い石碑を見つけました。
今ではどこの家庭の冷蔵庫にもあるケチャップですが、日本で初めて作られたのは明治27年(1894)。
まさにこの地(旧・子安村)で、清水與助さんという方が、日本初の国産トマトケチャップ「清水ケチャップ」を製造し、ワイン瓶に詰めて販売したそうです。

そこからはひたすらに道を歩いていきます。
長い区間特に見どころはないので、「京急新子安駅」と「京急子安駅」の前と、2駅も通り過ぎます。
「京急子安駅」を通り過ぎると、「浦島町」という地名が登場します。
全国各地に浦島太郎伝説が残っていますが、この地にも浦島太郎伝説が残っています。
街の至る所に亀モチーフのものや浦島太郎関連の史跡があるので、興味がある方は是非めぐってみてください。
神奈川区に伝わる「浦島太郎伝説」
乙姫から玉手箱と観音菩薩を授かって、竜宮城から帰ってくると父と母の姿がない。
観音菩薩に父母に会いたいと祈ると、「父の故郷にわたしをおぶっていきなさい」と言われ、太郎が父の故郷に行くと何百年もたっていることが判明。太郎の9代あとの子孫が「あなたの父母の墓は横浜の神奈川にあります」と教えてくれたため、墓を訪れ、そこにお堂を建てて、玉手箱と観音菩薩をそこにおさめたそうです。


「浦島町」の信号を通り過ぎたら、2つめを右に曲がると「神奈川通東公園」があるので立ち寄ります。


公園に「神奈川宿歴史の道」の説明板と「オランダ領事館跡」の石碑があります。
ここには寛永八年(1631)から昭和40年までの約330年間、「長延寺」がありました。
「長延寺」は開港当時「オランダ領事館」に充てられました。
また宿場町の入り口には土居が設けられていましたが、長延寺の前にも土居を互い違いに突き出した桝形があったそうです。
つまりはこの付近が神奈川宿の入り口だということです。


少し進むと右手に「京急神奈川新町駅」があります。
「笠䅣稲荷神社」に立ち寄りたいので、踏切を渡って左の道を歩きます。

歩いていくと右手に「笠䅣稲荷神社」があります。
「笠䅣稲荷神社」は天慶年間(938~947)に創祀されたと伝わる、神奈川区内でも屈指の歴史を持つ古社です。元寇の際には北条時宗によって「一鏡二剣」が奉納されたそうです。
この「笠䅣(かさのぎ)」という少し変わった名前には、江戸時代に旅人の間で噂になった、ある不思議な伝説が残されています。
昔、この神社の前を笠をかぶった旅人が通ると、なぜか不思議な力で自然と笠が脱げ落ちてしまったのだそうです。
「これは神様の前で笠をかぶったままでいるのは無礼だ、という神様のお告げに違いない」ということで、最初は「笠脱(かさぬぎ)稲荷」と呼ばれるようになりました。
その後、文字を改めて現在の「笠䅣稲荷」になったといわれています。


「京急神奈川新町駅」の所まで戻って、道を歩いていくと右手に「良泉寺」があります。
開港当時、色々な寺が諸外国の領事館や宿舎として接収されている中、良泉寺の住職は本堂の屋根を剥がして、修理中といってこれを断ったと言われています。


さらに道を歩いていくと「神奈川二丁目」の交差点に着きます。
写真の「吉田飯店」の所の横断歩道を渡らずに右に曲がって、歩いていきます。

工事中で分かりにくいですが、JR東神奈川駅に到着です。(京急東神奈川駅も手前にあります)
東神奈川駅周辺には神奈川宿の見どころがとてもたくさんあるので、次回のルートガイド記事でまとめて紹介します。お疲れ様でした!

